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チガサキゴトよ、チーガ

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加山雄三からザ・ワイルドワンズに託された愛のバトン 時を超えて奏でられた『はじまりの渚』

『はじまりの渚』作詞:ザ・ワイルドワンズ/作曲:弾厚作/編曲:ミッキー吉野/2023年11月22日にマキシシングルのみでリリース/左より、島英二、鳥塚しげき、植田芳暁(よしあき)、加瀬友貴(ともたか)

加山雄三のデモテープが大量に入った段ボール。
加山が近年、引越しのために部屋を整理して発掘されたものだ。
1960〜1965年と仕分けされたその箱の中で、この『はじまりの渚』はそう名付けられる時を待っていた。
「弾厚作:作曲」と手書きされただけの名もなき楽曲は約60年の時を超えて新しい息吹が吹き込まれた。

ワイヤーレコーダーでの多重録音の第1号は茅ヶ崎?!

 加山が歌手活動を始めた1960年代当初。加山は自宅にあったワイヤーレコーダーとテープレコーダーを使った多重録音(P11参照)を用いて世に楽曲を発表していた。この時代、日本の流行歌はレコード会社の専属作家が作ることが当たり前だった。そのため、加山は日本におけるシンガーソングライターの先駆者だと言えるほか、日本における一人で多重録音を行った第1号とも言えるだろう。

 2022年12月に、初めてワンズは『はじまりの渚』の原曲を聴いたという。鳥塚しげきの感想はこのようなものだった。

「一般家庭にワイヤーレコーダーとテープレコーダーがあることにも驚きですが、加山さんはそれらを使いこなして交互に録音しています。普通は当然、音にノイズが入るはずです。けれど僕たちが初めて聴いたとき、録音の音質、その鮮明さに驚きました」

 加山の自宅で録音されたとするならば、それは茅ヶ崎時代の音であろう。NHKBSプレミアムのドキュメンタリー番組「復活! 若大将 〜加山雄三 音楽を愛して〜」でも、当時のテープを再生している場面が放送されていたが、確かにクリアなサウンドだった。そんな貴重なテープの数々が、劣化せず綺麗な保存状態のまま残っていた。まさに奇跡の大発見だったのである。

茅ヶ崎で縁を築いていた加山雄三と加瀬邦彦

 ザ・ワイルドワンズ(以下、ワンズ)は2000年代より、ワンズと同世代の人々を音楽の力で盛り上げるために、加瀬邦彦が「お楽しみはこれからだ!」というキャッチコピーを付けて以来、今日までホール公演を続けてきた。お客さんと一緒に楽しむことが何よりも一番のこと、と考えていたリーダー・加瀬邦彦の〈加瀬イズム〉を忘れないためにも、これからも前向きな気持ちで取り組むことを決意したメンバー。

 デビュー60周年を迎える前に、まずは決まっていた直近のデビュー記念日公演に向けて何かできることはないかと考え、7年ぶりのCDを出すことに決めた。

 そうして、ライブは終えても作曲活動は続けるという恩師の加山に楽曲提供の相談をした。それは2022年8月に行われた現段階、茅ヶ崎での最終ライブとなっている「ありがとう加山雄三さん 湘南サウンドといつまでも」公演の楽屋でのことだったという。偶然にもリーダー・加瀬邦彦も住んでいた茅ヶ崎で、加山の茅ヶ崎時代の音が提供される契機を作ったことになる。

 加瀬邦彦と加山の2人は、茅ヶ崎時代からの縁である。加瀬は1957年、高校1年の時に茅ヶ崎に移住し日吉の慶應高校に通っていた。その年の暮れに、高校の先輩から加山宅で開かれるクリスマスパーティーに行こうと誘われ、そこで加瀬と加山は初めて出会った。

 それから加瀬は加山宅へ遊びに行くようになり、加瀬が高校2年の夏に、加山が大学時代から組んでいたバンド・カントリークロップスの練習を見始めるようになる。加瀬は次第に楽器を弾きたいと思うようになり、やがて加山からギターの弾き方を教わるようになった。

 これまで特別に音楽への興味を持っていなかったという加瀬の人生は、加山と出会って一変したのだった。

 時は過ぎ1966年、日本にロックバンドブームを巻き起こしたザ・ビートルズが来日した。加瀬は大学時代からプロ入りし、来日公演の前座を務める「寺内タケシとブルージーンズ」のメンバーとなっていた。だが、加瀬は、ビートルズを観る側でいたいがためにバンドを脱退し、同時に「ビートルズのようなフォークロックバンドを作って、日本武道館でライブをしたい」という夢を持ち始めた。

 そこでメンバーに決まったのは、当時全員アマチュアだった植田芳暁、鳥塚しげき、島英二 (加入順)の3人だった。プロをメンバーに迎え入れる方が即戦力となるはずなのに、なぜアマチュアを選んだのか。植田はその点について次のように語った。

「加瀬さんは業界っぽいノリや考え方を嫌う人だったので、僕たちのようなアマチュアをメンバーにしました。その結果、ワンズは究極のアマチュアリズムを体現化したバンドになったのだと思います。」

 そのワンズをデビュー前から応援していたのが加山である。『ザ・ワイルドワンズ』という名も、加瀬が恩師である加山にお願いをして名付けてもらっている。それだけでなく、加山は自身の番組や、加山主演の映画 ・若大将シリーズ『レッツゴー!若大将』などに彼らの出演を呼びかけた。

 また、ワンズがデビュー40周年を迎えた2006年に、夢であった「日本武道館でのライブ」を叶えた際は、公演のサポートや応援にかけつけていた。

 そう、加山は常にワンズおよび加瀬のことを見守ってくれていた。だからこそ、今回の加山によるワンズへの楽曲提供は、メンバーだけでなくファンも大いに喜びに包まれた。いわゆる師弟関係にあるワンズへの楽曲提供が今までになかったという驚きと、ようやく「弾厚作」からワンズへ楽曲のプレゼントが来たという喜びが混ざった一大事となった。

加山さんからの『楽曲』という愛のバトン

 「壮大な曲」という第一印象を受けた加瀬友貴は、漠然と大きなことをテーマにしたいと考えていた。そしてテーマは約60年間の歩みと関わったきた人たちへの「感謝」となり、それを基に友貴が歌詞の大筋を決めメンバー全員で作詞をした。タイトルも「原点に立ち返る」意味を含んだ鳥塚の案で『はじまりの渚』に決定した。

 2024年でデビュー58周年を迎えるワンズ。その鳥塚はワンズとして持つ夢についてこう語った。

「デビュー曲の『想い出の渚』を原曲キーのEのコードで歌い続けること。些細な夢だけれど60周年のコンサートでもそうありたいです」

 オリジナルを聴き馴染んでいるファンにとって、このことはとても重要である。こういった姿勢にも楽曲や関わってきた人々、ファンたちへの「感謝」を見て取ることができる。

 ワンズにはきっと、他のバンドにはない長く続ける特有の秘訣があると思う。それは島が言っていた、

「ワイルドワンズは、4人がみんな一緒。凹凸がなく、突出したスターもいないけどち誰一人かけても成り立たない。4人でワンズ、1人でもワンズです」

という言葉がヒントになる。このような関係性だからこそ、加瀬が中心となって築いてきたアットホームな雰囲気で、バンドを続けられているのではないだろうか。究極のアマチュアリズムは、湘南サウンドと呼ばれるものの構成要因の一つなのかもしれない。

 ライブ活動を引退した加山から、ワンズが受け取った『楽曲』という愛のバトン。加山が「人生100年」と掲げているように、まだまだワンズにも「人生100年」の道を共に歩んでほしい。


ザ・ワイルドワンズ

加瀬邦彦(リードギター)を中心に結成された、鳥塚しげき(サイドギター)、島英二(ベース)、植田芳暁(ドラム)からなる〈湘南サウンド〉を代表するミュージシャンのひとつとして知られる。1966年7月結成、同年11月5日に『想い出の渚』でデビュー。ザ・ワイルドワンズの名は、加瀬が高校時代に茅ヶ崎に住んでいたころから親交のある加山雄三が命名。2015年に加瀬が亡くなるが、2016年より加瀬の次男・加瀬友貴が加入し、跡を継ぐ形になる。現在は、1985年に加瀬邦彦が開業したライブレストラン「ケネディハウス銀座」で定期公演を中心に精力的にライブ活動を続け、今年デビュー58周年を迎える。 
THE WILD ONES OFFICIAL WEBSITE

取材・文:山下めぐ 協力:ケネディハウス銀座


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